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Chromatic Music Lab.です♬

楽譜出版事業「宝音出版」より、

フレデリック・ショパン
【12の練習曲 作品10・作品25】

が出版されました。

3線譜について詳しく知りたい方はこちらから☆

フレデリック・ショパンのこと

「ショパン」といえば、知らない人はいないのではないかというくらい、有名な名前なのではないかと思います。「ピアノの詩人」と呼ばれていることでも知られていますが、小学校の音楽室に肖像画があったり、日常の中でも作品を耳にすることも多く、クラシックにあまり興味がなくても「ショパンの曲は好き」という方はいらっしゃると思います。

そんなショパンを調べていくと、男装の女流作家『ジョルジュ・サンド』との恋愛が、彼の音楽人生を大きく左右していたのではないかと思えたので、この二人に焦点を当ててみることにしました。

二人の出会いは、ショパン26歳、サンド32歳の時に、アイドル並みの人気ピアニスト『フランツ・リスト』経由のホームパーティの場だったそうです。
このホームパーティで、リストがショパンの「エチュード第12番ハ短調Op.10-12(革命のエチュード)」を弾いたことから、ショパンの人気が出たという話もあります。

最初、サンドへの印象はとても悪かったようで、葉巻を片時も離さない男装の女というイメージからか「あれは本当に女なのか!?」と嫌悪感すらあったそうです。
しかし、サンドの熱烈な関心ににショパンの方も次第に惹かれていき、恋に落ちてしまったようです。
サンドはバツイチで二人の子持ちであるにも関わらず、多くの男性と関係をもっていたようで、詩人や医者やフランツ・リストなどともお付き合いがあったという噂です。しかし、実際はどうだったのでしょうか?
むしろ、この時代の女性からすると、とても個性的なうえモテモテだったであろう彼女は、女性からの嫉妬心も強く、噂の独り歩きもあったかもしれません。
とはいえ、きっと肉食系だったであろうサンドと、草食系ショパンの二人の恋は次第に親密になっていったようです。

「革命のエチュード」のような激しい曲をピアノで弾くことができるというだけで、もともと病弱だったとは思えないのですが、二人が出会ってしばらく経った頃、病気がちだったショパンの療養もかねて、ショパンとサンド、そしてサンドの二人の子供を連れ、スペインの「マヨルカ島」にしばらく移り住んだ時期があったそうです。
しかし残念なことに、「マヨルカ島」での生活がさらに病状を悪化させてしまったということが、書籍や様々な記事に描かれています。

結婚もしていない二人に、信仰心の強い島の人間には冷たくされ、そのために宿泊場所が寒々としたところのみしか借りられず、さらにこの年は雨が多いなど、散々な滞在になったことが悪化の原因とされています。
そして、サンドの子供、兄「モーリス」はマザコンだったのか、ショパンの存在をよく思っていなかったそうで、そういったことも繊細なショパンの心は乱れ、病気の悪化に繋がったのではないのかなと思います。
しかし、この平穏でない環境がショパンの数々の名作を生み出したといっても、過言ではないはずです。

その後もサンドの地元「ノアン」に移り、一緒に住んだそうですが、人間関係はさらに悪化していったようで、兄「モーリス」はショパンをよそ者扱いし、妹「ソランジュ」は兄にばかり構うサンドに反抗的になっていきショパンの気をひくようになったりと、「ショパン、ソランジュ」対「サンド、モーリス」という形ができあがってしまったそうです。
きっと、画家を目指していたモーリスは、ショパンの才能にも嫉妬していたのだと思います。
このノアンでも多くの作品を生み出しており、世間にも認められている存在が、泣かず飛ばすの画家としては面白くなかったのではないでしょうか。

今回、ショパンとサンドの恋愛を知るために、映画『ショパン 愛と哀しみの旋律』を観たのですが、サンドは本当に大変だったのではないかと、、、。
子供達はマザコンと反抗的という形でサンドへの執着心が強く、病気がちで繊細なショパンには気遣いが必要で、小説も書かなければいけない、、。精神的にかなりハードです、、。

しかし、そんな二人の関係も1847年に終わりが訪れたそうです。
決定的な原因は定かではありせんが、付き合っていた10年の間にこれだけ様々なことがあれば、原因は一つではないのかもしれません。
その後、別れた後のショパンは、鬱状態となってしまったそうです。かなりサンドとの関係に依存していたのだと思います。

そして、別れて2年後の1849年10月に、39歳という若さで結核のために息を引き取りました。
自分が死んだら心臓はワルシャワに持ち帰って欲しいという願いを叶えるべく、姉のルドヴィカにより祖国へ持ち帰られました。ドイツ映画「別れの曲」にも描かれていましたが、ショパンの故郷ワルシャワへの愛は強かったといいます。
そして現在も、ショパンの心臓はワルシャワの聖十字架教会の柱に眠っているそうです。

 

練習曲(エチュード)について

ショパンの練習曲(エチュード)は、

  • 12の練習曲 作品10(12 Etudes  Op.10 )
  • 12の練習曲 作品25(12 Etudes  Op.25 )
  • 3つの新練習曲

と、全部で3つの曲集からなります。

一般的に「練習曲」といえば、技術を磨くための練習をする曲であり、鑑賞することを目的としていないため、音楽的には面白みがない楽曲がほとんどです。
しかしショパンの練習曲は、練習を目的とした課題がそれぞれの曲にありながら、芸術的にもすばらしく、また難易度の高い作品となっています。そのため、練習曲でありながらコンサートで演奏されるような有名な曲も多数含まれています。

また、ショパン以降、リストやドビュッシーなど様々な作曲家が、12という曲数にこだわった芸術性のある作品を書いていますが、これはショパンの練習曲の影響を受けて作った作品だともいわれています。

 

作品10(Op.10), 作品25(Op.25)

今回、「12の練習曲 作品10、作品25」の3線譜が出版されました。
ショパンは、自分の作品に名前をつけることを好まなかったといわれています。
そのためか、正式には作品番号のみがタイトルとなり、「別れの曲」「革命」「黒鍵」など有名なサブタイトルのものは、全てショパンがつけたものではなく後からつけられたものとなります。

作品10(Op.10)

ショパン練習曲10

No.1:『滝』“Waterfall”
No.2:『半音階』“Chromatique”
No.3:『別れの曲』“Tristesse”
No.4:『奔流』“Torrent”
No.5:『黒鍵』 “Black Keys”
No.6 : “Lament”
No.7:『トッカータ』“Toccata”
No.8 : “Sunshine”
No.9
No.10 
No.11:“Arpeggio”
No.12:『革命』“Revolutionary”

作品25(Op.25)

ショパン練習曲25

No.1:『エオリアン・ハープ』“Aeolian Harp”
No.2:『蜂』“The Bees”
No.3:『騎手』“The Horseman”
No.4: “Paganini”
No.5:『不協音』“Wrong Note”
No.6:『3度音程』“Thirds”
No.7:『恋の二重唱』“Cello”
No.8:“Sunshine”
No.9:『蝶々』 “Butterfly”
No.10:『オクターヴ』 “Octave”
No.11:『枯らし』 “Winter Wind”
No.12:『大洋』“Ocean” 

 3線譜の読み方(.pdf)

 

おまけ

1990年、当時学生だった代表の大川ワタルが、ショパンの「革命のエチュード」を自らアレンジして演奏した動画です。

ラピアン(現クロマトーン)啓蒙の旅で訪れていたロスアンゼルスのホテルに設置されていた電子ピアノを、無理を言って宿泊部屋に持ち込み、クロマトーンに改造(ラピアンキット)して演奏したそうです。
3線譜はこれよりももっと前の高校生の頃に考案していた、というから驚きです!

 

さいごに

ショパンは、自分の作品のように、激しくも優しく、また濃い人生だったのではないかと思います。葛藤や苦しみ、悲しみ、病魔との戦い、それでいて全てをゆだねるような愛と、故郷への強い想い。そういったことが全て作品に吐き出されているように感じます。
むしろ、感情の全てをピアノで表現していくことがショパンの宿命だったようにも思います。
この美しい練習曲を、ぜひ3線譜で♬

楽譜はこちらからチェックできます☆

 

この記事を書いた人

Chromatic Music Lab.編集部
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