今年も残りわずか!!
今年の始まりから、すでに1年も経ってしまったとは思えないくらい時間の流れが早いな〜と感じる日々。
こんにちは♬よっしーこと岩田よしえです(๑′ᴗ‵๑)
今年も本当に色々なことがありました。
個人的には、熊本地震が一番衝撃的で、熊本で大地震なんて起きるはずないと思っていただけに(きっと熊本に住んでる方も思っていたはず)、かなりテンパりました。。
夏に実家に帰郷した時にはまだまだ爪痕が残っていましたが、今では少しづつ復興も進んでいるようでよかった!
そんな今年の最後に、一人合唱第二弾といたしまして、”熊本”が出てくる代表的な童歌でもある、
『あんたがたどこさ』
を弾き語ってみることにしました!!
「あんたがたどこさ」の歌詞
きっと、ほとんどの方が知っている童歌だと思いますが、結構歌詞が曖昧!
ということで、こちらが歌詞です。
あんた方(がた) どこさ 肥後(ひご)さ
肥後どこさ 熊本さ
熊本どこさ せんばさ
せんば山には 狸(たぬき)がおってさ
それを猟師(りょうし)が 鉄砲(てっぽ)で打ってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ
それを木の葉で ちょとかぶせ
私たちが子供の頃は、
「それを木の葉で うまさのさっさ〜♬」
と歌っていたような記憶があると思っていたら、二番の歌詞が、
あんた方(がた) どこさ 肥後(ひご)さ
肥後どこさ 熊本さ
熊本どこさ せんばさ
せんば川には えびさがおってさ
それを 漁師が 網さでとってさ
煮てさ 食ってさ うまさでさっさ
らしい!
混ざっていたのか。。。。
そういえば小学生の頃、『光GENJI/銀河パラダイス』と、『桜田淳子/私の青い鳥』の歌詞が混ざっていた過去を思い出しました。。
「あんたがたどこさ」を調べてみた
歌詞の内容を分析してみると、
「熊本の”せんば山”にタヌキがいて、猟師が鉄砲で撃ってつかまえたタヌキを煮たり焼いたりして食べて、食べたあとの骨や皮を木の葉で隠した」
という、野性的な唄だと思っていたのですが、調べてみるとこんな説が!
実は舞台は熊本ではなく、関東の唄で、埼玉県川越市喜多院裏の「仙波(せんば)山」周辺が発祥地であることが郷土史研究家によって明らかにされているとか。
幕末に薩長連合軍が倒幕のため川越の仙波山にも駐屯し、その時付近の子どもたちが兵士に
「あんたがたはどこから来たのさ」「肥後から」「肥後って何処さ」「熊本のことさ」
と問い、答えた(問答)ことから始まったと伝えられ、後に手毬唄として歌い遊ばれたとのこと。
(太田信一郎著「童歌を訪ねて」より)
ということは、
子「あなたの家はどこですか?」
兵「肥後だよ。」
子「肥後のどこですか?」
兵「熊本だよ。」
子「熊本のどこですか?」
兵「せんばってとこだよ。」
子「せんばっていうと、この山も「仙波山」っていうんですけど、ここにはタヌキがいて、漁師が鉄砲で撃って、煮たり焼いたりして食べてるんです!」
みたいな唄ってことなのでしょうか?
しかし、熊本の中央郵便局付近の坪井川にかかる「船場橋」には、
『船場(せんば)橋
新町と船場町を結んで坪井川にかかる橋である。
このあたりは、昔、坪井川の船着場であったため船場と呼ばれ、川の名前まで船場川ともよばれた。大正頃まで木橋であったが、昭和四年に市電段山線が敷設されるとき鉄筋コンクリート橋になった。
肥後手まり唄の、
「せんば山にはタヌキがおってさー」のせんば山は、昔右岸に連なる小高い繁みがあったといわれる。
この橋の両たもとには唄にちなんで、エビとタヌキを象った橋柱燈が設されている。肥後手まり唄の、「せんば山にはタヌキがおってさー」のせんば山は、昔右岸に連なる小高い繁みがあったといわれる。』
と書かれており、本当にいろんな説があるようです。
また、その付近には市電の停留所「洗馬(せんば)橋停留所」もあり、字が違うのは俳句などを詠む際に戦場・洗馬などの言葉と掛けていたのがはじまりだと言われているとのこと。
奥深い、、、、、
実際に、この船場橋や洗馬橋停留所付近には、タヌキの像がおります。
そして、市電が停留所に近づくと、「あんたがたどこさ」が流れて教えてくれます。
一人合唱してみた
調べてみると本当に面白い!!
そんな「あんたがたどこさ」を早速弾き歌いしてみました♬
こちらの3線譜はダウンロード可能です♬
5人で合唱することもできますよ〜(๑´▿`๑)♫•*¨*•.¸¸♪✧
ぜひ、弾いてみてくださいね☆